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時計や宝飾などを取り扱う商家の二男として生まれ、毎日大勢の人が出入りする環境で育ちました。
父はとても厳格で頑固、恐い存在だったけれど良く一緒に釣りに行ったことを覚えています。短気な父が私の絡まってしまった針糸を丁寧に戻してくれて一日中暗くなるまで川や海にいたものでした。
母はやはり商売している女将という社交的な性格で、茶の間では親戚の人や父の友人なんかで酒盛りしていることが多かったなあ・・・・。
小学校の2年生の時に私の左胸に小さな出来物が出て、父の知り合いの皮膚科に行ったら麻酔してとってあげるよと言われて、とても痛い注射を胸の何ヶ所にも刺され、切り取ってもらいました。
その後は痛くて痛くていつも左胸を押さえていたので猫背のようになり、プールの時間はその傷が皆から見られているのではと思うと辛くて嫌でした。
しかしその傷は治るどころか日増しに少しづつ大きく盛り上がり、周囲の皮膚とは明らかに異なる赤い色をしてまるでやけどの様。
皮膚科の先生ももう少し大きくなるまで待ってと言うのでそのままにしていました。
それで5年生になって大きい病院で診てもらったほうが良いと言う事になり、今は無くなってしまった宮城第一病院の皮膚科で再手術することになりました。
今度は本格的に大きな手術室でのもの。
局所麻酔なので先生が色々と話しかけてくれて、「痛くないかな?」とか「君は将来何になりたいの?」なんて聞きながら手術を進めてくれました。
私は「僕もお医者さんになりたい。」って言うと「じゃ、頑張って勉強するんだよ」って言ってくれました。
それから母が小学館の文庫本や百科事典の毎月届くものを買ってくれて「ファーブル昆虫記」、「海底二万マイル」や「シュバイツァー物語」に「野口英世物語」にとても興味を持って読み、自分は将来は医者になるんだといつしか心に決めていました。
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